信州小川村に就農

2013年秋から翌年の冬まで、就農1年目の記録。

2013年 10/29 軽トラで金沢から農機具などを運ぶ。 北陸道で糸魚川へ、そこから148号を南下し、白馬村からオリンピック道路を使ってちょうど200km。4時間もあれば着く。翌春までに11往復して就農の準備をした。

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11/14 10月9日、役場の職員に案内してもらい、初めて味大豆(あじまめ)集落の通称「原」に来た。そこには収穫を待つばかりの大豆畑。持ち主の方が耕さなくなり、代わって村の農林公社が作付けしていた。振返れば後立山連峰、北アルプスが水平に見える新人合宿で初めて登った白馬三山、冬に縦走した爺・鹿島槍・五竜岳が間近だ。稜線は北へ行くほど白くなり、その左端が白馬乗鞍岳で高校山岳部員と春山合宿したところ。懐かしい山々の傍で百姓を始めた。

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12/16 掘っ立て柱に三組の桁を乗せたところで吹雪で中断した農小屋。アルプスからの風がまともに吹きつけ、サラッサラの粉雪が舞い上がっている。一段高い畑の風下には雪庇まで張り出し冬山と変わらず。とんでもないところに来てしまったものだと思う。吹雪が止んでから垂木を取り付け、三組をガッチリ連結して年内の作業を終えた。

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2014年 3/19 春が来て、農小屋作りを再開する。

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5/1  黒土の畑に小麦とたんぽぽ。ようやく桜も咲いた。小川村は茶色の粘土質土壌が大半だが、ここ稲丘東地区はその昔噴火した虫倉山に近く、黒色の火山性土壌は水はけも良く作物の生育にはうってつけ。後ろは小川村の飯縄山(1203m)。山頂に稲丘神社があり農業の神さまが祀られる。

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5/31 棚田で田植え。ここはフォッサマグナの真ん中。地すべりが発生しやすく、むしろ地すべりによって地形がなだらかになり、湧き出てくる水により稲作ができるようになったところだという。法面の面積が田んぼと変わらないほどの急傾斜だ。     

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9/15 秋に入り冷え込むようになったからか、腰がギクッとなって動けず。夏に何でも屋の叔父に増築を助けてもらい、屋根にかかろうとするときだった。連休を利用して来た次男が代わって葺いてくれた。曇りながらも常念から鹿島槍まで屋根と一緒に並んで見える。

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10/11 あきたこまちを脱穀稲架(ハサ)で2週間ほど天日で乾燥させた稲束をハーベスタにかける。稲架で干した米は表面の糊層が壊れず、米本来の風味や旨味を活かすと云う。高冷地の寒暖差だけでなく、昔流のやり方がうまい米を作るのかもしれない。自分で作って食べる幸せを感じる。

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10/15 小屋の中にも収穫したアワの束を掛ける。 ここは全くの野っ原だから、わずか 10平米の農小屋でも雨風を凌げる貴重な場所。農小屋だが山小屋みたいだ

12/19 前月22日の神城断層地震、震度6弱だった。白馬村神城から山続きの稲丘地区は揺れが激しく、全壊の農家も。そして追いかけるように1週間後には積雪、さらに総選挙(13日)の前日から大雪に見舞われた。掘っ建て柱の構造は頑丈で幸い小屋は持ちこたえた。